昔、実家で暮らしていたときに
朝寝坊してボーっとキッチンに行ったら
母のお友達のおばあさまが、遊びにいらしてました。
慌てながらご挨拶したら、
母に電話がかかってきて、長話が始まってしまい、
手持ち無沙汰なおばあさまの話し相手になりました。
エアロビクスの大会で優勝した話。
ご主人と出かけた船旅が楽しかった話。
若い頃にすごく欲しかったけれど、赤ちゃんが授からなかった話。
子どもの頃にお父様に連れて行かれた毛皮店で、
ミンクがふわふわしていた話。
なんだか、たくさんお話しました。
彼女は、少女のように可愛いおばあさまで
いっぺんで大好きになりました。
おばあさまも、私のことをとても気に入って下さったようで
後日、「恵子さんのイメージだったから」と
ミントンのカップを送ってきてくださいました。
たまたま、その数日後が母の日だったので
私からのお礼の気持ちで、バラの花束を送りました。
その夜、おばあさまから電話を頂戴しました。
「私は子供が居ないから、
母の日に花を貰えるなんて
一生ないと思ってたから嬉しくて…」
電話の途中で泣き出してしまいました。
それから私から毎年、母の日には花を送って
毎年、おばあさまから は
ミントンのカップを一つづついただきました。
カップが全部で7つになったとき
おばあさまが、いらっしゃらなくなりました。
毎年、母の日になると私は、彼女を思い出します。
確か幼い頃は、祖父母のご近所さんなどのお年寄りに囲まれていたような気がするのですが(まあ、子供にしてみれば30代はオバちゃん、50代はお婆ちゃんに見えていたからかも)
返信削除どうも、人見知りだったり、人と話す感性の乏しい私としては、いろいろとお話してみたかったなと、今になって思います。皆さんもうお話できないので(;-;)
そんな素敵なお友達との思い出があることを羨ましく思います。
カップ、大切にね。
れいこさん
返信削除このカップは私の宝物です。
毎年、母の日のときにお電話で話して
ありがとうと言いながら泣き出す彼女に
「もういいかげん、慣れてください」
と困り笑いをしながら、話した記憶があります。
彼女は、もう会えない人だけれど
いつも私の記憶の中にいます。